東北辞典
弘前大学
岩手大学
東北大学
宮城教育大学
秋田大学
山形大学
福島大学
青森県
青森
岩手県
盛岡市
秋田県
秋田市
宮城県
仙台市
山形県
山形市
福島県
福島市
touhoku.info
touhoku.info は、東北地方に関わる情報をネット上から集めたり、独自に収集した情報を配信しています。
皆様が東北に興味を抱いていただければそれだけで嬉しいです。
お勧めリンク
'パキスタン・イスラム共和国(パキスタン・イスラムきょうわこく、)、通称パキスタンは、南アジアの国家。東はインド、北東は中華人民共和国、北西はアフガニスタン、西はイランと国境を接し、南はインド洋に面する。国土の中心部を流れるインダス川の流域に国民の80%以上が住み、人口の増加が著しい国の一つである。
国名
正式名称は、اسلامی جمہوریہ پاکِستانن'''(ウルドゥー語;ラテン文字転写(一例)は、Islāmī Jumhūrī-ye Pākistān。イスラーミー・ジュムフーリーイェ・パーキスターン)。公式の英語表記は 。通称は 。
日本語の表記はパキスタン・イスラム共和国。通称はパキスタン。
国名「パキスタン」は、ペルシア語起源の言葉で「清浄な国」を意味するパーキスターン(پاکستان Pākistān)に由来するとともに、パキスタンを構成する五大地域であるパンジャーブのP、北西辺境州(現カイバル・パクトゥンクワ州)に住むアフガーン人のA、カシミールのK、シンドのS、バローチスターンのTANを表す。パキスタンの名は、英領インドの独立運動の中でムハンマド・アリー・ジンナーらが提唱したムスリム(イスラム教徒)多数地域の分離独立要求において、将来樹立されるべき国家の名として採用され、1947年の独立とともに正式な国名となった。
旅行者がパキスタンを省略して「パキ」と呼ぶ事があるが、これは誤用であるとの指摘がある。アフガニスタン(アフガン)やキルギズスタン(キルギス)などの場合には、それらの国名が、「土地・国」を意味する「(イ)スターン」(ペルシア語 ا)ستان) )に民族呼称を冠することで成り立っている以上、「(イ)スターン」を省略して呼ぶことじたいはとくに問題をまねかない。だがパキスタンの場合には、上記の中央アジア諸国の場合とは異なり、「パキ」(パーク)は一般名詞(ペルシア語 پاک :「清浄な」の意)であるため、人(個人・人間集団)を指す略称としては適さないとの趣旨である。
さらに、「パキ(Paki)」という言葉は、主に英語圏において差別語として用いられる用法があるとの指摘もある。すなわち、パキスタン(およびインドやバングラデシュなど南アジア諸国)出身の移民を指して、侮蔑的に用いる用法があるとのことである。だとすれば、たとえ当人に差別的な意図が無くとも、そのような言葉を口にすることで無用のトラブルをまねく可能性がある。言葉の誤用がじっさいに誤解をまねいたとおぼしき事例については、次の報道記事を参照。
アジア系に「パキ」 士官学校時代、差別語使い英王子謝罪
国名の変遷
歴史
東パキスタンが1971年に バングラデシュとして独立
- 1947年 イギリス領インド帝国から独立し、イギリス国王を元首に頂くドミニオン(英連邦王国パキスタン)となる
- 1947年 第一次印パ戦争
- 1956年 共和制移行
- 1965年 第二次印パ戦争
- 1971年 第三次印パ戦争、東パキスタンがバングラデシュとして分離独立
- 1998年 核実験成功。
- 1999年 ムシャラフ参謀総長によるクーデター、シャリーフ政権にかわりムシャラフ政権成立
- 2005年 パキスタン地震
- 2010年 パキスタン水害()
政治
国内政治
連邦共和制。4つの州と連邦首都イスラマバード及び連邦直轄地から成る連邦国家。インドとの対立関係もあり、伝統的に軍部の力が強い。独立以来クーデターが繰り返され、政局は常に不安定である。パルヴェーズ・ムシャラフ前大統領も、1999年の無血クーデターでナワーズ・シャリーフ首相(当時)から実権を掌握し、2001年の民政移管でそのまま大統領に横滑りした人物である。
対照的に政党の力は弱い。パキスタン人民党の初代党首だったズルフィカール・アリー・ブットーは大統領や首相を歴任した後にムハンマド・ズィヤー・ウル・ハクのクーデターにより職を追われ、後に処刑された。その娘のベーナズィール・ブットーは1988年にイスラム諸国初の女性首相となったが、やはりクーデターで解任され、復帰した後も汚職や不正蓄財を理由に職を追われている。米国の支援を受けて2007年11月に帰国するも同年12月27日、演説終了後会場にて暗殺された。
地方においては部族制社会の伝統が根強く、その慣習法が国法を上回り中央政府による統制がほとんど効かない状態になっている。特に連邦直轄部族地域にその傾向が著しく、アフガニスタンとの国境地域にはターリバーン勢力が浸透し、現在も紛争が続いている(ワジリスタン紛争)。ウサーマ・ビン=ラーディンなどのアル・カーイダ主要メンバーが潜伏しているという米国などの指摘の根拠となっている。
また、南西部のバローチスターン州ではイギリス植民地時代からの独立運動が根強い。
このような中央政府の弱さが、2005年10月8日に発生したパキスタン地震における大きな被害の発生と、救援体制の弱さによる二次被害の拡大につながったとされる。
2006年8月現在イギリス軍は4500名の軍隊を派遣して麻薬組織やアル・カーイダと同列の組織をあぶりだす作戦を展開中。
2007年11月、軍参謀長でもあるムシャラフ大統領が、自身の地位を巡って最高裁と対立、軍を動員して全土に非常事態宣言と戒厳令を発令するという事実上のクーデターをおこなった。ムシャラフ氏は、11月28日に陸軍参謀総長を辞職して、29日に文民として大統領に就任し、11月に発令した非常事態宣言を12月16日に解除するとテレビを通じて発表した。また、2008年1月8日に、現憲法下で「自由で透明性のある方法」で総選挙を実施すると公約した。
2008年2月18日、パキスタン下院・4州議会議員選挙が行われた。登録有権者は8,091万人。下院定数342のうち、女性60、非イスラム教徒10が留保される。342から留保の70を除いた272議席が直接投票で選挙区制の一般選挙区で選出され、70の留保議席が各党に割りあたえられる。与党パキスタン・ムスリム連盟(PML)と野党パキスタン人民党(PPP)、パキスタン・ムスリム連盟シャリーフ派(PML-N)の3党が中心となって議席が争われた。因みに、上院は100議席で、州議会議員等による間接選挙で選出される。総選挙の結果は、第1党はパキスタン人民党、第2党はパキスタン・ムスリム連盟シャリーフ派、次は与党だったムスリム連盟である。他にムッタヒダ民族運動(MQM)、アワーミー民族党(ANP)などがある。
同年3月24日、パキスタン国民議会は、議員投票でユースフ・ラザー・ギーラーニー(就任時55歳)を首相に選出した。ギーラーニーは264票の圧倒的な支持を得た。人民党と連立するムスリム連盟シャリーフ派などの反ムシャラフ派は、下院議員のほぼ三分の二を占めた。8月18日、それらの影響を受けムシャラフ大統領はついに辞意を表明した。
2008年9月6日、パキスタン国民議会上下両院と4州議会の議員投票にて大統領選挙が行われ、パキスタン人民党総裁のアースィフ・アリー・ザルダーリーが新大統領に選出された。
外交政策
独立以来、アメリカとの協力・同盟関係を維持しながら、カシミール問題で激しく争うインドに対抗するのがパキスタンの一貫した外交政策であったが、親米主義者であったムシャラフが辞任した2000年代後半以降軍事パートナーをアメリカからロシアに切り替えることを志向している(2008年のグルジア軍の南オセチア自治区への侵攻にロシアが介入した事を支持した国の一つでもあった)。
対印関係
独立の経緯以来、インドとの間では緊張関係が継続している。1998年には、インドに対抗して、カーン博士の指導のもと、地下核実験を実施し、ミサイル発射実験などを行った。インドと共に核保有国の一つである。東隣の大国インドとは北東部のカシミール地方の所属を巡って争っている。1948年以来3度の全面戦争を経験し、特に1971年の第3次印パ戦争では大敗した。その結果、独立運動に呼応したインド軍の侵攻を受けた東パキスタンをバングラデシュとして失うことになった。その後もインドとの間では常に緊張関係が続き、軍事境界線で南北に分断されたカシミールでは両国軍の間で死者を伴う散発的な衝突が日常化していたが、ムシャラフ前政権は南アジア地域協力連合を通じた緊張緩和に努めており、その成果は徐々に現れてきていた。しかし、2008年11月のムンバイ同時多発テロでインドとの関係は険悪化、再び緊張状態になっている。
一方で2004年から和平協議がもたれている。2008年11月にインド西部ムンバイで同時爆破テロが発生して以来、和平協議が中断していた。2010年4月、両国首脳がブータンで会談し、外相会談を開催することで合意し、公式の対話を再開、維持することを決めた。6月には外務次官級協議と内相会談を実施している。7月15日には、インドのクリシュナ外相とパキスタンのクレシ外相会談が、パキスタンのイスラマバードで行われた。
対米関係
パキスタンは独立以来、アメリカ合衆国の軍事支援を受け入れている。アメリカにとっては非同盟主義のインドと友好関係が深いソビエト連邦への対抗上、またイスラム革命を起こしてアメリカと激しく対立するイランの封じ込め策として、パキスタンは重要な支援対象国家である。パキスタン側もこの点は承知しており、クーデターなどで政権交代が起こっても親米路線は堅持されている。しかしながら、前述の通り、近年のパキスタンは親米路線の見直しを進めており、今後の米パ関係が注目される。1990年、東西冷戦の終結が唱えられる中、アメリカのジョージ・H・W・ブッシュ政権はパキスタンによる核開発疑惑を理由に軍事援助を停止したが、1996年にはビル・クリントン政権によって再開されている。
対アフガン関係
国内でのイスラム原理主義運動を抑え込む一方、アフガニスタンに関しては1979年に始まったソビエト連邦が介入した内戦においてはでは反政府ゲリラのムジャーヒディーンを助けた。ソ連軍撤退後の内戦では、パキスタン軍統合情報局は影響力を拡大するためにが厳格な原理主義のターリバーンを発足から政権樹立まで強力に支援した。しかし、ターリバーンがかくまうアルカーイダがアメリカ同時多発テロ事件を起こした事から始まった2001年のターリバーン政権への攻撃ではムシャラフ政権がアメリカと有志連合諸国支持を表明し、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権からF-16戦闘機供与を含む巨額の軍事・経済援助を受けた。これに対し、イスラム原理主義者をはじめ、イスラム教徒に対するキリスト教国の攻撃に反感を持つ多くの国民から不満が増大し、パキスタン国内では多くの抗議行動が起こった。また、アフガニスタンを追われたターリバーン勢力は連邦直轄部族地域に浸透し、パキスタン軍やアメリカ軍との戦闘が継続されている。
2010年8月31日、パキスタン軍機がアフガニスタン国境付近(パキスタン北部カイバル・パクトゥンクワ州ペシャワルなど)の部族地域を空爆し、イスラム過激派を少なくとも30人が死亡し、過激派の隠れ家や訓練施設、自爆テロに使用する予定の車両8台も破壊した、と同国治安当局者が語った。
対中関係
また、中華人民共和国との関係も深い。中国とはインドへの対抗で利害が一致しており、パキスタンはミサイル技術供与などの軍事援助などを受け、核兵器開発についても支援が指摘されている。また、ギルギット・バルティスタン州と中国の新疆ウイグル自治区との間はカラコルム・ハイウェイで結ばれており、トラック輸送による国境貿易が行われている。
対日関係
日本との関係は1958年の外交関係樹立以来おおむね良好で、2002年にはムシャラフ大統領が来日した。2005年4月には小泉純一郎首相が日本の首相として5年ぶりにパキスタンを訪問し、核実験以来停止されていた有償資金援助が開始された。また、貿易収支は日本側の大幅な黒字であり、日本からの投資はインドと比較するとかなり少ない。これは不安定な政治とインフレ経済が嫌われたものである。
軍事
陸軍、海軍、空軍のほか、沿岸警備隊、さらに国境警備、治安維持用の準軍事組織を有する。印パ戦争・カシミール紛争が繰り返されたことからインドと軍事的な対立関係にある。核兵器も保有している。
地方行政区分
4つの州と、2つの連邦直轄地区に分かれる。
州
連邦直轄地区
- イスラマバード首都圏
- 連邦直轄部族地域 (FATA)
その他、カシミール地方におけるパキスタンの実効支配領域は、2つの行政区に分かれる。
主要都市
人口100万人以上の都市が7都市ある。人口順では、カラチ(933万9000人、1998年)、ラホール(514万3000人)、ファイサラバード(200万9000人)、ラワルピンディ(141万人)、ムルターン(119万7000人)など。首都イスラマバード(52万9000人)は人口順では10番目に位置する。
- イスラマバード(イスラマバード首都圏、首都)
- カラチ(シンド州の州都)
- ラーホール(パンジャーブ州の州都)
- ファイサラーバード(パンジャーブ州)
- ペシャーワル(カイバル・パクトゥンクワ州の州都)
- ラーワルピンディー(イスラマバード首都圏)
- クエッタ(バローチスターン州の州都)
- ムルターン(パンジャーブ州ムルターン県の県都)
地理
国土の北部には世界の屋根カラコルム山脈とヒンズークシ山脈が連なり、K2(標高8611m)とナンガ・パルバット(標高8126m)がそびえる。国の中央を南北に走るのはスライマン山脈である。インドとの国境には大インド砂漠(タール砂漠)が広がり、その南にはカッチ大湿地が分布する。北部高地からアラビア海(インド洋)に流れ出すインダス川は流域に主要な平野(北のパンジャブ、南のシンド)を形成する。
パキスタンには四季があり、12月から2月が冷涼乾燥な冬、3月から5月が高温乾燥の春、6月から9月が高温多雨・モンスーンの夏、10月から11月が移行期の秋である。この時期は地域によって若干異なり、洪水と旱魃がしばしば生じる。
経済
主要産業は、農業や綿工業。特にパンジャーブ地方で小麦の生産が盛んで世界生産量第4位である。通貨はパキスタン・ルピー(1ルピー=100パイサ、硬貨の種類は5パイサ、10パイサ、25パイサ、50パイサ、1ルピーの5種類、紙幣は、2ルピー、5ルピー、10ルピー、20ルピー、50ルピー、100ルピー、500ルピー、1000ルピーの7種類)。
国民
人口
2005年に1億6千万人を超えた。2003年以降の人口増加が顕著なのは、戦闘が続く隣国アフガニスタン他からの移民が急増したためと見られる。その数は累計で凡そ600万人と言われる。また出生率も高く、国連の推計では2050年には約3億5千万人にまで増加し、インドネシア(2050年に約2億9千万人と推定)を抜き、中国・インド・米国に次ぐ世界第4位の人口大国になると予想されている。
- 2004年:1億5919万人(前年比1016万増)
- 2003年:1億4903万人(前年比307万増)
- 2002年:1億4596万人(前々年比1146万増)
- 2000年:1億3450万人
- 1991年:1億1552万人
人口密度
182人/平方キロメートル(2001年)、145人/平方キロメートル(1991年)
民族構成
パンジャーブ人56%(60%とも)、パシュトゥーン人16%(13%とも)、シンド人13%、 バローチー人4%など
宗教
イスラム教97%(国教)、ヒンドゥー教1.5% 、キリスト教1.3%、ゾロアスター教0.2%など、ほかにアミ二ストも存在している。
言語
ウルドゥー語(国語)、英語(公用語)、パンジャーブ語、シンディー語など。現行の1973年憲法251条はパキスタンの国語をウルドゥー語としており、1988年までに英語に代えてウルドゥー語を公用語化することになっていたが、2004年現在も実現にいたっていない。同時にウルドゥー語が公用語化されるまでは英語を公用語とする旨規定している。憲法を始めとする全ての法令や、公文書は英語で書かれている。政府の公式ウェブサイトは英語でだけ書かれている。全ての高等教育機関が英語を教授言語としている。ただ、ほとんどの初等中等教育はウルドゥー語で行われているため、英語を自由に操るパキスタン国民はあまり多くない。母語を異にするもの同士が会話する時は、ウルドゥー語を用いることが多い。ウルドゥー語を母語にするパキスタン人は全人口の一割以下である。
文化
著名な遺跡として世界遺産になっているモヘンジョ・ダロ遺跡とクシャーナ朝時代に繁栄したタキシラの都市遺跡がある。ほかにインダス文明の遺跡として標式遺跡となったハラッパー遺跡がある。古典音楽は北インドと同じヒンドゥースターニー音楽。イスラム神秘主義の宗教歌謡カッワーリー(qawwali)の大歌手ヌスラト・ファテー・アリー・ハーンは、パンジャーブ地方で生まれている。
| 祝祭日 | |||
| 3月23日 | 1940年3月23日、ムスリム連盟ラホール大会でのパキスタン決議を記念 | ||
| 5月1日 | |||
| 8月14日 | 1947年8月14日、パキスタンの英国からの独立を記念 | ||
| 9月6日 | |||
| 9月11日 | ムハンマド・アリー・ジンナーの命日 | ||
| 11月9日 | |||
| 12月25日 | 建国の父ジンナーの誕生日 | ||
| 以下はヒジュラ暦(イスラムの太陰暦)に従う祝祭日 | |||
| アーシューラー | |||
| イーデ・ミラードゥンナビー | ムハンマドの生誕祭 | ||
| イード・アル=フィトル | |||
人権
パキスタンは守旧的イスラームに基づく国家であり、憲法で公式にイスラームの理念にのっとった政治を行うことを宣言し、イスラム法の強い影響を受けた法を施行するという点でイスラム国家としての色彩が強い。そのためさまざまな人権侵害があると指摘されている。パキスタンではイスラム教徒・非イスラム教徒を問わず、イスラームやムハンマド、コーランに対する批判は禁止されており、言論の自由はない。違反した場合投獄や死刑に処される。またイスラム教徒が他の宗教に改宗することも国法で禁止されており、違反した場合死刑である。2008年6月にはコーランを焼却し、ムハンマドを批判したとしてイスラム教徒の男性に死刑が宣告されたコーラン焼いたイスラム教徒男性に死刑判決 パキスタン。
また国法とは別に、習慣法による人権侵害も深刻である。例を挙げれば、婚前セックスを行った女性を家族の名誉を汚したとして処刑する名誉の殺人があり、山岳部を中心に横行している。特に地方部では警察機構や司法制度が整備されていないので慣習法が横行している。
災害
2005年10月8日、パキスタン北東部カシミール地方・インド国境付近を震源とするマグニチュード7.8の大地震(パキスタン地震)が発生し、死者9万人以上の大災害となった。カシミール地方を中心に被害が相次いだほか、首都イスラマバードでも高層アパートが崩壊した。2010年7月末、カイバル・パクトゥンクワ州で大規模な洪水が起こり、パンジャブ州、シンド州にも広がった。被災者1400万人、死者1200人以上の大災害になっており、少なくとも200万人が家庭を失っている。国連人道問題調整事務所(OCHA)は、被災地の一部では下痢などの疾病が広がっているとしている。欧米メディアが2010年8月16日、大規模な洪水により飲料水が汚染され、伝染病の流行の可能性が高まり、約350万人の子どもが感染の危機にさらされていると国連人道問題調整事務所(OCHA) の報道官の話として報道した。
北澤俊美防衛大臣は8月20日夕方、国際緊急援助隊派遣法に基づく派遣命令を発出した。8月23日以降陸上自衛隊第4師団を主力とした第1次隊が派遣され、復興活動を開始する。
脚注
関連項目
外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 外務省 - パキスタン
- 在パキスタン日本国大使館
- 観光
- その他
- JETRO - パキスタン
- イスラーム地域研究「中東の民主化と政治改革の展望」(大学共同利用機関法人 人間文化研究機構) - パキスタン