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多賀城


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多賀城(たがじょう、たがのき)は、日本の律令時代に、陸奥国に設置されたである。現在の宮城県多賀城市市川城前ほかに位置し、国府鎮守府などに使われた。国の特別史跡に指定されている。

概要


空中写真(1975年) 奈良畿内政権が、「蝦夷」(エミシ)と呼び異民族視していた東国住人を制圧するため、軍事的拠点として蝦夷との境界となっていた松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置した。創建は、按察使大野東人が築城したとされる。8世紀初めから10世紀半ばまで存続し、その間大きく4回の造営が行われた。第1期は724~762年、第2期は762~780年で藤原恵美朝狩が改修してから伊治公砦麻呂の反乱で焼失するまで、第3期は780~869年で砦麻呂の乱による焼失の復興からの大地震による倒壊まで、第4期は869~10世紀半ばで震災の復興から廃絶までに分けられる。多賀城碑、今泉隆雄「律令国家と蝦夷」55ページ(渡辺信夫・今泉隆雄・大石直正・難波信雄『宮城県の歴史』山川出版社 1999年3月)多賀城創建以前は、郡山遺跡(現在の仙台市太白区)が陸奥国府であったと推定されている。陸奥国府のほか、鎮守府が置かれ、政庁や寺院、食料を貯蔵するための蔵などが置かれ、城柵で囲み櫓で周囲を監視していたと考えられる。多賀城が創建されると、国府が郡山遺跡から移され、黒川以北十群(黒川・賀美・色麻・富田・玉造・志太・長岡・新田・小田・牡鹿)に城柵・官衙とその付属寺院が設置・整備された。これらの設置・整備は律令制支配の強化を図るものであり、多賀城はそれらの拠点を後援する為の根拠地であった。今泉隆雄「律令国家と蝦夷」53-54ページ(渡辺信夫・今泉隆雄・大石直正・難波信雄『宮城県の歴史』山川出版社 1999年3月)

これにより当時の(狭義の)日本では、平城京を中心に、南に大宰府、北に鎮守府兼陸奥国府の多賀城をおくこととなった。

多賀城政庁に隣接し、陸奥国内100社を合祀する「陸奥総社宮」を奉ずる。陸奥国一ノ宮鹽竈神社を精神的支柱として、松島湾・千賀ノ浦(塩竈湊)を国府津とする。都人憧憬の地となり、歌枕が数多く存在する。政庁がある丘陵の麓には条坊制による都市(のちに多賀国府(たがのこう)と呼ばれる)が築かれ、砂押川の河川交通と奥大道の陸上交通が交差する土地として長く繁栄した。

建武新政期と南北朝時代初期、多賀城には陸奥将軍府が置かれた。奥州将軍府は多賀城の陥落後、将軍府の中心的武将、伊達行朝の所領である伊達郡霊山に移転した。

歴史


近年では、曲水宴遺構が出土し、その編年の再検討も含めて注目されている。現在は特別史跡に指定され、政庁跡や城碑、復元された塀などが残されている。

4月6日、日本100名城(7番)に選定され、6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。

アクセス


周辺


東北歴史博物館には出土物の多くが収蔵されている。

脚注



関連項目


外部リンク




奈良時代
平安時代
宮城県の城
特別史跡
宮城県にある国指定の史跡
多賀城市
城柵遺跡
陸奥国



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