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版籍奉還(はんせきほうかん)は、1869年7月25日(明治2年6月17日)に、日本の明治政府により行われた中央集権化事業の1つ明治2年太政官布告第543、同第544 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー。諸大名から天皇への領地(版図)と領民(戸籍)の返還。
経緯
- 1868年6月11日(慶応4年閏4月21日) - 江戸幕府の解体により成立した明治新政府は、政体書において地方制度では大名領を藩とし、大名を知事に任命して諸大名統治のかたちを残す府藩県三治制を確立する。
- 1868年12月11日(明治元年10月28日) - 藩行政と家臣の分離を定める藩治職制を設け明治元年太政官布告第902 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー、政府による藩統制を行う。
- 1869年(明治2年1月) - 新政府樹立に貢献した薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩が建白書を提出する。
- 1869年(明治2年5月) - 上局、公議所において諮問が行われて実施される。
- 1870年10月4日(明治3年9月10日) - 藩制布告が行われる
概要
版籍奉還は、廃藩置県までの過渡的措置であるが、当時藩に対する明治政府の権力は脆弱で、諸藩への命令も強制力のない太政官達で行うしかなかった。そこで、版籍奉還を行って藩統制に強力な法的根拠を持たせようとした。だが、藩主が非世襲の知藩事に変わり(ただし、実際には事実上の改易処分を受けた福岡藩などの例外を除いては、世襲の後継者がそのまま後任とされている)、陪臣である藩士も知藩事と同じ朝廷(明治政府)の家臣(「王臣」)とされる事で、朱子学に基づいた武士道(近代以後の「武士道」とは違う)によって位置づけられてきた主君(藩主)と家臣(藩士)の主従関係を否定することになるものであり、諸藩の抵抗も予想された。そこで、版籍奉還の実施に際してはその意義については曖昧な表現を用いてぼかし、公議所などの諸藩代表からなる公議人に同意を求めた。更に前後して戊辰戦争の恩賞である賞典禄について定めることで倒幕に賛同した藩主や藩士を宥めて不満を逸らした。このため、藩の中には「将軍の代替わりに伴う知行安堵を朝廷が代わりに行ったもの」と誤解する者もあり、大きな抵抗も無く終わった。そして版籍奉還によって、各藩の中で続いていた地方知行がなくなり、蔵米知行に一元化された。
呼称
藩というと幕藩体制というように江戸幕府下の制度と思われがちだが、厳密には、江戸幕府下の体制で公式に「藩」という呼称はなかった(一部の学者などが書などで使用するのみであった)。ただし、幕末になると大名領を「藩」と俗称することが多くなった。「藩」という名称は中国史による。明治維新後、初めて藩という呼称が公式に使用されたが、廃藩置県で藩が消失するまでのわずか2年程度の行政区名称である。
脚注
明治時代
明治維新
明治時代の政治
かつて存在した日本の行政区分
1869年