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盛岡市(もりおかし)は、岩手県の県庁所在地。中核市に指定されている。
概要
盛岡市の岩山から市街地を展望
平安時代、桓武天皇の命により志波城が置かれ、律令体制下となる。安土桃山時代に勢力を広げた南部氏が盛岡城を築いて以後、城下町として発達。明治以後は岩手県の県庁所在都市となり、第三次産業を主とする商業都市となる。とりわけ東北新幹線の整備により急速な都市化が進み、北東北での拠点性が高まった。日本の県庁所在地級の都市の中では、奈良市や金沢市などとともに、戦災被害の少ない都市に数えられ、明治・大正期の建造物や町並みが多く現存する。近年、市としては人口が横ばいの状態にあるが、南北に隣接する矢巾町や滝沢村がベッドタウンとして人口を増加させている。
都市雇用圏基準では、盛岡市を核として八幡平市、紫波郡、岩手郡に広がる盛岡都市圏が形成され、東北地方では仙台都市圏、郡山都市圏に次ぐ都市圏を形成している。
名称とシンボル
- 「幾春も華の恵みの露やこれ 宝の珠の盛る岡山」
「盛岡」の名は、1691年に、時の藩主南部重信と、盛岡城鬼門鎮護の真言宗豊山派永福寺第42世・清珊法印との間で交わされた連歌に由来する瑞祥地名である。「盛り上がり栄える岡」の意味を持つとされ、のちに藩名も「南部」から「盛岡」へと改められた。版籍奉還直後は「盛岡県」が存在したが、旧郡にちなみ岩手県へ改められたと言われている(諸説あり)。現代では一般的呼称ではないが、中世には「盛府」とも記された。
盛岡市中心部は、かつての巖手郡仁王郷不来方に相当し、不来方と呼ばれており、今日ではこれが雅称として用いられる。盛岡を漢文調に読み雅号として杜陵(とりょう)とも称される。盛岡ゆかりの石川啄木は、その作品の中で「美しい追憶の都」、宮沢賢治はエスペラント風に「モリーオ市」と記した。「杜と水の都」「みちのくの小京都」とも呼ばれる。
「盛岡」を連想させるものとして、市内のあらゆる地域から望まれる岩手山が多くの学校の校歌に謳われるほか、市の中心部で合流する中津川・北上川・雫石川の三大河川、国の史跡に指定されている盛岡城石垣、国の天然記念物に指定されている石割桜、国の重要美術品の上ノ橋擬宝珠、旧盛岡藩主南部氏の家紋「向鶴(双鶴)」「武田菱」が、盛岡を表す端的なモチーフとして用いられることが多い。
人口
- 市勢
地理・気候
盛岡市内から望む岩手山
市内を流れる中津川
岩手県の内陸中心部に位置し、市内を北上川、雫石川、中津川などが流れる。北上盆地の中に位置するため、内陸性気候を呈しており、夏と冬、昼と夜とで温度差が大きい。他の北日本の地と同様、桜の開花は東京に1ヶ月程度遅れ、満開がゴールデンウィークに重なる傾向がある。夏期は、真夏日となる日もみられるものの30年平均(1976年~2005年)で夏日が68.6日、真夏日が17.7日ある。、やませの影響を強く受けるhttp://www.reigai.affrc.go.jp/zusetu/inasaku/jittai/nogyo.html</ref>年があるほか、フェーン現象が発生することもあるため、年によって夏日は41~94日、真夏日も1~48日と変動する。熱帯夜となることは稀(1931年~2006年の76年間で<ref>気象庁・過去の気象データ検索・盛岡 ・1時間ごとの値 と気象庁・過去の気象データ検索・盛岡 ・1時間ごとの値の2夜のみ気象庁・過去の気象データ検索・盛岡 年ごとの値 各階級の日数(最低)・≧25℃の項目を参照)。冬は、30年平均(1976年~2005年)で冬日が124.6日(97~147日)、真冬日が16.6日(1~40日)。この頃は全体的には暖冬の傾向がみられるが、年によって異なる。平均気温は青森市より寒く本州一寒い。冬季の日照時間は長く、晴れた深夜・早朝に放射冷却現象が起きて路面凍結が度々発生し、雪害よりも問題となることが多い。そのため、札幌よりも最低気温が低くなることも多く、零下10℃以下まで下がることも多い。
市内でも、標高差など地理条件により気温差が顕著である。標高約700mの盆地上に位置する玉山区藪川地区は、厳冬期には放射冷却によって零下20℃を下回ることもかなり多い。非公式ながら1945年1月26日には零下35℃という北海道内陸部並みの冷え込みを記録しており、岩手県宮古市区界、岐阜県高山市六厩、長野県上田市菅平、長野県南牧村野辺山 と並んで、本州で最も寒冷な土地の一つとされる。岩手山(北西)、駒ケ岳(西)、早池峰山(東)、南昌山・東根山(南)など、市外に所在する山々も仰ぐことができる。そのほか、市内には低い山々が入れ組み、良好な緑地帯を形成するほか、総じて街のランドマークとなっている。
- 山 : 姫神山 - 岩山 - 愛宕山 - 鑪山 - 蝶ヶ森 - 飯岡山 - 黒石山 - 神庭山など
- 河川
- 湖沼 : 四十四田ダム - 御所ダム - 綱取ダム - 高松の池 - 岩洞ダムほか
- 主な都市の降雪量・積雪量(平年値)
| 札幌 | 630 cm | 101 cm | -4.1°C | 軽井沢 | 136 cm | 32 cm | -3.6°C |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 青森 | 774 cm | 114 cm | -1.4°C | 富山 | 433 cm | 69 cm | 2.5°C |
| 秋田 | 409 cm | 41 cm | -0.1°C | 金沢 | 360 cm | 52 cm | 3.7°C |
| 山形 | 491 cm | 50 cm | -0.5°C | 東京 | 13 cm | 7 cm | 5.8°C |
| 盛岡 | 351 cm | 36 cm | -2.1°C | 名古屋 | 13 cm | 7 cm | 4.3°C |
| 仙台 | 90 cm | 17 cm | 1.5°C | 彦根 | 131 cm | 29 cm | 3.6°C |
| 石巻 | 56 cm | 17 cm | 0.5°C | 岐阜 | 52 cm | 16 cm | 4.3°C |
| 福島 | 235 cm | 26 cm | 1.4°C | 鳥取 | 263 cm | 49 cm | 3.9°C |
| いわき | 14 cm | 6 cm | 3.6°C | 松江 | 111 cm | 24 cm | 4.2°C |
| 新潟 | 255 cm | 39 cm | 2.6°C | 福岡 | 5 cm | - cm | 5.8°C |
- ※降雪量累計:気象庁の統計データでいう「降雪の深さ合計」のこと。日ごとの降雪量を積算(平年値)
- ※最深積雪:一度に降る最も多い積雪量(平年値)
- ※1月気温:1月の平均気温(平年値)
- (参考):アメリカ合衆国のニューヨーク市(NYC)とシカゴ市を併記(数値はNational Weather Serviceによる)。
歴史
延暦年間、征夷大将軍・坂上田村麻呂により志波城が築かれ、大和王権による陸奥国最北の治府となる。豪族安倍氏により「厨川柵・嫗戸柵」が置かれて事実上の自治を果たすが、安倍氏が源氏の侵攻を受け、代わって出羽国から清原氏が進出した(前九年の役)。清原氏が内紛で滅亡すると(後三年の役)、現在の盛岡市(岩手郡・斯波郡)は清原清衡(奥州藤原氏)の勢力圏となる。源頼朝による平泉攻略後、再び源氏が統治、鎌倉幕府の勢力下となり、「厨川城」を拠点に「奥州工藤氏(のちの栗谷川氏ほか)」らが治めた。南北朝時代には両統が割拠する中、甲斐源氏を祖とする南部氏が三戸から南進を果たす。工藤氏らを配下に置き岩手郡を領有、南部氏目代福士氏が「不来方城(慶善館・淡路館)」を置く。南部氏は斯波氏を滅ぼし「斯波郡(紫波郡)」を領有すると不来方城を礎に盛岡城を築き、城下町を整備。これが盛岡の都市としての始まりである。盛岡藩は盛岡県を経て岩手県となり、盛岡市はその県庁所在地となる。古代以来の拠点地「志波城」「厨川城」「盛岡城」を包含する地域として、現在の盛岡市が形成される。
- 旧石器時代 - 縄文時代
- 「小石川遺跡」における旧石器時代の遺構からは、既に12000年前から当地域に人の営みがあったことが認められる。
- 岩手県指定遺跡「大館町遺跡」からは、約500に及ぶ縄文時代の竪穴式住居跡と、多量の土器が発見され、近隣の「大新町遺跡」における「爪形文土器」他の出土品と共に、東北地方における土器の変遷が垣間見られる。また、「翡翠」など地場では採掘されない鉱石の出土例があり、古くから広い地域での交易が実現されていたと推測される。冷温帯落葉樹林に覆われたこの地域は現代より温暖で、もっぱら山野の収穫と狩猟・漁労を生活の基礎とする豊かな自然環境に恵まれた。そのため縄文文化の影響を色濃く残し、弥生文化を基軸とする西日本からは独立した文化的背景を持つ。盛岡市では、国内最大級の縄文式土器が発掘されている一方、弥生式土器の発掘例はほとんどない。また古墳文化と続縄文文化の境界上にあって、両文化の交わる点にあった。
- 弥生時代 - 奈良時代
- 南の「大木式土器圏」と北の「円筒式土器圏」の緩衝地域にもあたり、以後も当地は長らく南北文化の境界であった。独自の信仰・呪術形態を物語る手代森遺跡出土物遮光器式土偶のほか、アイヌ語の影響と見られる地名が今なお残されているのが特徴である。気候と植生の違いにより、元来熱帯起源の稲作には不適地であったが、ヤマト王権の拡大政策による稲作の推進に伴い、米を基幹作物とする中央集権型の経済体制下に組み込まれてゆく。このことは、耐寒性品種の開発をみる近代まで、結果として当地に経済的立ち遅れを招く要因ともなった。ヤマト王権の東北地方における勢力拠点となった仙台平野に比して、北上盆地にはその影響が弱く、盛岡周辺では地元豪族が半ば独立した自治を行いながらも、経済的交流は保たれていたと見られる。市内では開墾等によって「古墳」が失われているが、石室・土師器・須恵器や鉄製馬具が出土しており、有力な支配者層は、陵墓をもってその権威を示したと見られる。「高櫓A遺跡」から「土製紡錘車」が発見されるなど、当時の人々の暮らしを物語る奈良時代の遺構も発掘されているが、未だ解明されていないところが多い。
- 平安時代
- 平安時代の盛岡には、当時の律令支配から独立した土豪勢力がおり、蝦夷と呼ばれ、ヤマト政権から異民族視されていた。「上田蝦夷森古墳群」などがその遺跡で、出土品である「衝角付冑」や、全国でも岩手県での出土が最も多い「蕨手刀」からは、古くから一帯に高い製鉄文化を持った人々が暮らしていたことが推測される。また錫製品・琥珀の出土により、当時から交易ルートが存在したと見られている。また「太田蝦夷森古墳群」からは「勾玉」「ガラス玉」ほか、ヤマト政権との関わりを示す「和同開珎」等が出土しており、志波城造営との関わりを示唆している。
- 平安京造営と並ぶ桓武天皇の東北進攻政策により、延暦21年(802年)、アテルイが都へ連行されると、翌年の延暦22年(803年)、征夷大将軍で「造志波城使」の坂上田村麻呂が「志波城」(現在の「志波城古代公園」、盛岡市中太田方八丁附近)を造営した。これは陸奥国最北で、八丁四方の大規模な城柵である。その区画は外郭で鎮守府「胆沢城(岩手県奥州市)」、政庁規模で陸奥国府「多賀城(宮城県多賀城市)」をも超えるが、河川の氾濫により10年で徳丹城(現・徳田小学校)へ移転した。一帯は律令体制下に置かれ、朝廷による東北経営のための移住政策が進められており、上総(千葉県)などの文字のある出土物から、他国からの移民兵士などによる集落が形成されていたと見られる。のちに朝廷の財政難による拡大政策の停止により、10世紀には、蝦夷の俘囚長を名乗った安倍氏が地場支配を続けていた。居館を嫗戸柵(現在の盛岡市安倍館町に擬定)に構え、厨川柵(現在の盛岡市天昌寺町附近に擬定)などの拠点も造営した。これは支配地最北の砦であったと考えられる。
- 安倍頼時・安倍貞任父子らは、北上川流域の奥六郡を統治していたが、後に奥州進出を図る陸奥守源義家の謀略により、戦闘状態に陥る。(前九年の役)当初安倍氏が有利な戦闘状況であったが、義家の説得で出羽の俘囚長清原氏が義家に味方すると戦況は一転し、厨川次郎とも呼ばれた貞任と子の千代童子は、厨川で戦死した。また、貞任の弟である安倍宗任は、伊予国、九州大宰府などに配流、後に松浦党を構成する一族の始祖となったと伝える。さらにこの時、安倍氏に加勢した在庁官人藤原経清も処刑され、その妻は経清との間に生まれた清衡を連れ清原武貞に嫁せられる。以後、陸奥・出羽の両国は清原武則とその子武貞の支配下に置かれた。「陸奥話記」は、この頃不来方(逆志方)は清原武則の甥「橘頼為」が領主になったと伝える。清原武貞の死後、清原氏の跡目相続の内紛に陸奥守として赴任して来た源義家が介入し、後三年の役が起きる。義家は合戦に勝利したものの、私戦と認定され、何も得ずに陸奥を去る。これにより現在の盛岡市域は、清原氏を名乗るも藤原氏の血統にあり、さらに平家出身の母を持ち安倍貞任の甥にあたる清原清衡(のちの藤原清衡)が統べることとなった。清衡は実父の姓藤原に復す。これが平泉の奥州藤原氏である。この統治は以後、平氏政権の下で約100年間続く。
- 鎌倉時代
- 奥州藤原氏は産金と北方貿易による巨万の富を背景に、人口規模で国内第二の都市平泉を中心とした独自の政権を打ち立て、浄土思想を基調とする仏教文化が花開いた。平氏政権を倒し、独自の武家政権の確立を目指す源頼朝及び鎌倉幕府は、源義経を庇護したことを口実に藤原泰衡を追捕の対象とした。頼朝は全国の武士を動員し、阿津賀志山の戦いで藤原氏を破り斯波郡に陣を敷く(現在の「陣ケ岡」)。この時、頼朝は「高水寺」に詣で伊豆国走湯権現を勧請したと吾妻鏡は伝える。この寺院は、768年に称徳天皇の勅願により建立され、後に真言宗走湯山を号し、盛岡城下へ移転した。
- 源頼義から数えて5代目の後裔となる源頼朝は、文治5(1189)年9月11日、厨川に到着し「厨川館」を定める。前九年の役における父祖の故事にならい、頼義が厨川で安倍氏に行なったのと同様、藤原泰衡の首級を晒す事で奥州の統治権を宣言する。この戦いを奥州合戦と呼ぶ。その勲功として、現在の盛岡は頼朝に従った御家人で伊豆国(神奈川県)地頭の工藤氏が岩手郡を与えられ統治を始めた。工藤小次郎行光は前九年合戦の古戦場跡に「厨川城」を定め、厨川柵跡には安倍氏の祈祷所を基に「天台宗天照寺」(現・曹洞宗巌鷲山天昌寺)を創建、聖俗ともに岩手郡を統治する立場として巌鷲山大権現大宮司となり代々世襲、「岩手殿」とも呼ばれた。のち、岩手郡一帯は「北条得宗家」の大きな影響の下に置かれる。
- この頃の「台太郎遺跡」から大陸産の北宋銭や青磁器や常滑焼が出土していることから、現在の盛岡南新都市にあたる地域周辺に、奥州藤原氏の流れを汲む有力な支配者層が居館を構えていたことが推測される。大荘厳寺も高水寺同様、後に南部氏の宗教政策によって盛岡へ移転した。後の盛岡藩主となる南部氏の伝承によると、始祖南部光行公は、1180年、石橋山の戦いの功によって頼朝から奥州糠部郷を拝領していたと伝えられる。甲斐源氏の流れを汲む南部氏は、甲斐国巨摩郡南部郷から奥州への進出を果たして以後、一度の領地替えもなく、明治維新前まで奥州北部を掌握した。こうした例は他に島津藩があるのみである
- 室町時代
- 南北朝動乱期、現在の盛岡周辺では有力氏族が割拠し、北朝の斯波氏・稗貫氏に対し南朝の北畠氏(浪岡氏)・葛西氏・南部氏が対立する。建武元年(1334年)、後醍醐天皇の命により北畠顕家が国府多賀城に赴任。これに従って甲州から奥州へ進出したのが南部師行(根城南部氏、のちの遠野南部氏の祖)であった。建武2年(1335年)、中先代の乱の後、足利尊氏は陸奥国府と南部氏を制するため、独自に奥州総大将として斯波家長を下向させた。これが「奥州斯波氏」である。将軍家と同格のため、奥州では「奥州惣奉行」葛西氏に比肩する唯一の名族であった。三戸南部氏(のちの盛岡南部氏)はこの頃、対立していた工藤氏が領有してきた岩手郡三十三郷を取り込んでいた。「岩手郡における南部氏」、「紫波郡における斯波氏」の台頭はここに始まり、そのまま南朝対北朝の構図となって、以後16世紀までその対立は続く。この斯波氏とは、北条氏の血を引く足利宗家の足利家氏が斯波郡(紫波郡)を領有したことに発する一族で、当地で前九年の役を戦った源義家の末裔に当たる。
- 岩手郡では、正平元年(1346年)、南朝の陸奥介鎮守府将軍の北畠顕信が滴石庄に進出、北畠少弐が居館「滴石御所」を営んだと伝えられ、現在の「御所湖」に名を残す。北朝の斯波氏は後に戸澤氏を退け、滴石においても優勢に傾き、分家を同様に「滴石(雫石)御所」と称した。斯波郡(紫波郡)では、高水寺斯波氏が、高水寺城(現在の城山公園)を拠点に中央からは「奥の斯波殿」、奥州でも「斯波御所」の尊称で呼ばれ、奥州では最上級の家格として扱われていた。また、その分家も「猪去御所」など「御所」の尊称で呼ばれた。斯波氏は、幕府に直結する家柄として、天正年間に室町幕府が衰退するまで優位であったが、最後には南部氏の家臣となった。
- 安土桃山時代
- 浅野長政と蒲生氏郷の推挙により、領地のほぼ中央部に位置する岩手郡仁王郷不来方を新たな本拠に決定する。
- 南部氏は「福士氏」を目代とし、不来方(現在の盛岡)を支配する。福士伊勢入道慶善淡路と糠部彦次郎は不来方城(慶善館・淡路館)を築き、これは後の盛岡城の土台となった。南部氏は、奥州斯波氏の本拠地であった日詰高水寺城を「郡山城」へ改めて居を構え、信直、利直、重直の三代にわたり「不来方城」の旧地に盛岡城を築く。
- 1588年、南部氏は斯波氏を滅ぼし、現在の盛岡市の元となる岩手郡と斯波郡(紫波郡)を完全に支配下に置く。翌々年、南部氏が相続問題で混乱している最中に家臣大浦為信(津軽氏の祖)が謀反、小田原の役に際して羽柴秀吉に謁見し、津軽3郡3万石の安堵状を得る。これにより南部氏は、元来の領地である津軽地方(青森県西部)を失う。これ以後、南部藩と津軽藩の精神的対立は領民の間ですら深刻なものとなり、現代に到るまで重大な禍根を残すこととなる。天正20年(1592年)、鎌倉時代以来400年間の統治拠点「厨川城」が廃され、不来方城(後の盛岡城)を中心とした城下町建設が始動した。これが「都市としての盛岡」の発祥である。以後、工藤氏は「栗谷川氏」を名乗り、福士氏をはじめ周囲の有力武門斯波氏・葛西氏とも縁戚関係を組みながら南部家家臣となった。「盛岡開府」以後の三戸南部氏は「盛岡南部氏」と呼ばれ、後世には八戸の「根城南部氏」(「波木井南部氏」とも称する)を配下に収めて遠野へ移封(後の「遠野南部氏」)、中世的同族連合であった南部氏を脱却し、南部家一党の宗家として近世大名となった。慶長4年(1599年)、「盛岡城」が一応の体裁を整え藩主入部を見たこの年、南部藩の命により、鉱山師「鎌津田甚六」が鹿妻に堰の掘削を行い大規模水路が完成。藩御用の用水として新田開発を進められる。この結果、盛岡南部・紫波郡での良質な米穀生産が可能となり、生産された米は悉く御蔵米となった。盛岡の繁栄は、この城下近郊での安定生産と農業技術向上によるものが大きい。この水路管理は明治に至り「鹿妻穴堰普通水利組合」(現在の「鹿妻穴堰土地改良区」)に受け継がれ、平成元年に国営盛岡南部水利事業の指定を受けて今日に至る。この頃既に南部領には、盛岡領内の豊富な砂金を目当てに現在の滋賀県高島市をはじめとする地域から近江商人が進出し、北上川の河港・日詰郡山駅を拠点として城下町盛岡進出への足がかりとしていた。
- 江戸時代
- 明治維新以降
- 戊辰戦争で藩政が幕府側に与したことから、現在の盛岡市域は政府直轄地となり、岩手郡は松代藩、紫波郡は松本藩の取締を受けるなど、薩長側に与した旧藩に支配された。こうした動乱の中、秩禄を失った武家の間では、新天地を求める必然から、北海道開拓へ旅立つものも少なくなかった。現在の札幌市北区をはじめとする地域の開拓に努めたのは、旧盛岡藩士であった。
- 1870年 ‐ 「盛岡藩」が廃され「盛岡県」が成立。1872年には岩手県に。
- 1874年 ‐ 盛岡城取り壊し
- 1875年 ‐ 旧盛岡藩主南部氏が、旧藩士授産のための開墾事業を開始
- 1876年 ‐ 明治天皇行幸。盛岡師範学校開校
- 1889年 ‐ 市制施行。初代盛岡市長目時敬之就任
- 1890年 ‐ 東北本線盛岡駅開通
- 戦後
- 1949年 ‐ 岩手大学開学
- 1970年 ‐ 岩手国体開催、社会資本の整備(→#西部)。大会をきっかけに市民運動が高まり、今日「あすを築く盛岡市民運動」に継承。
- 1978年 - チャグチャグ馬コ、選択無形民俗文化財に選択
- 1979年 - 東北自動車道開通
- 1982年 - 東北新幹線暫定開通
- 1985年 - カナダ・ビクトリア市と姉妹都市締結
- 1992年 - 紫波郡都南村を編入合併
- 2006年 - 岩手郡玉山村を編入合併
- 2007年 - さんさ踊り太鼓パレード、太鼓数でギネス認定
- 2008年 - 中核市移行
ギャラリー
行政
盛岡市章は、城下町盛岡を開いた南部氏の紋章「菱」を交差させたものに由来。「違菱(たがいびし)」と呼ばれる。一説には、後に南部氏の表紋となる「向鶴(むかいづる)」の鶴、折鶴を表現しているともいう。
おもな行政課題
- 財政再建
- 都市基盤の整備
耐震性に問題のある市庁舎の問題に加えて、火葬場や下水道改修問題(合流式下水道問題)など、高度経済成長期に整備した社会資本を更新する必要に迫られている。
- 渋滞問題
城下町である盛岡は、戦災を受けなかったこともあって、市中心部にまで細路地が残り、交通渋滞が慢性化している。市は、マイカー利用を抑える対策としてバス利用の促進を図る。国からオムニバスタウンに指定されている。
都市外交
- 国際姉妹都市
- * ビクトリア市(カナダ ブリティッシュコロンビア州)1985年姉妹都市提携
予算規模
- 財政力指数(2007年度)0.73
- 当初予算規模(2008年度)
- : 約952億円(一般会計)
- : 約464億円(特別会計)
- : 約280億円(企業会計)
- : (総計:約1600億円)
- ラスパイレス指数99.3
行政区域の変遷
議会
選挙は統一地方選挙として実施。
| 日本共産党 | ||
| 公明党 | ||
国政・県政
国会議員
- 衆議院
- 参議院議員通常選挙では、岩手県全体で一つの選挙区。
岩手県議会議員
- 盛岡市選挙区の議員定数は10名。
経済
伝統産業
業務・流通
第3次産業就業人口が81.4%の商業都市。地域別の平均所得ランキングでは、当市は1人当たりの所得が332万円で、仙台市に次いで東北で2番目に多い毎日新聞集計、時点、全国2375市区町村。また、年間商品販売額は約1兆3559億円(2004年)で、東北地方では仙台市、郡山市に次ぐ第3位であり、北東北3県では第1位である。高度経済成長期には、仙台市が広域中心都市として、盛岡市は県域中心都市としての地位を確立した。高度経済成長後は、他の地方で地方内のセカンドシティが確立していくが、東北新幹線開業(1982年)、東北自動車道全通(1987年)、八戸自動車道接続(1989年)など、1980年代に高速交通インフラが一気に整備された盛岡市は、業務・流通において北東北を管轄する東北地方のセカンドシティの性格をやや見せるようになったとされる。ただし、秋田新幹線開通や東北新幹線八戸駅延伸など高速交通インフラが更に拡充されたものの、秋田新幹線による県間移動(2000年)に見られるように、盛岡を素通りする傾向が顕著に見られ、その地位を明確に確認することは出来ていない(経済地理学会)。
商業地
ほかの地方都市同様、盛岡都市圏でも中心市街地の衰退がみられる中心市街地の活性化について 岩手県商工労働観光部。中心市街地の路線価は、ピーク時1992年の3分の1以下まで下落した。その一方、郊外の大型ロードサイド店舗が発達し、青山、みたけ、上堂、前潟、仙北、本宮、津志田地区などが、実質的に市内の物販を牽引している。すなわち、中心部商店街は「シャッター街」とはなっていないものの、物販の郊外化と中心部の賃料の低廉化から、中心部の物販店は飲食店や娯楽店へと次々入れ替わっており、繁華街から歓楽街へ機能転換したとみる声もある。都心回帰現象もみられるものの、物販の郊外化を止めるに至っていない。なお、の時点で、高さ30m以上の高層ビルは少なくとも177棟以上ある。建設中のビルを含めると200棟近い『岩手日報』()。
消費動向
総務省家計費調査によると、1人当たりの年間書籍購入額は、東北地方の県庁所在地では1位。また、世帯あたりの豆腐の消費量が全国で最も多い平成18年度盛岡地区広域消費購買動向調査の結果【概要】 岩手県産業振興課 平成18年12月。物販の郊外化および流通の寡占化によって商品の多様性は以前と比べて低下したため、ファッション関連品目などの高級品を中心に多様性の維持・拡充が続く仙台や東京への流出傾向も見られる。
盛岡市に本社を置く主要企業
- 出先を盛岡市に置き北東北を統括する企業
業務・流通の欄にもある通り、高速交通網の整備以降、北東北を統括する支店が増加する傾向にある。
- アサツー ディ・ケイ
- NECインフロンティア
- 学習研究社
- ケイエスオリンパス
- 国際航業
- サンウェーブ
- 三和シヤッター
- ショーボンド建設
- JTB
- カゴメ
- 東京海上日動火災保険
- 丸紅
- 味の素
- 日清食品
- ハウス食品
- 住商オートリース
- 積水化学工業
- ソフトバンク
- 大日本住友製薬
- 電通東日本
- 東芝テック
- ニッセイ同和損害保険
- 日本音楽著作権協会
- 資生堂
- アシックス
- 積水ハウス
- 大日本印刷
- 住友林業
- バンダイ
- 日本住宅保証検査機構
- 盛岡に主要工場・事業所のある企業
- インクリメント・ピー東北開発センター
- 盛岡市の金融機関
- 本店を置くもの
支店を置くもの
国の行政機関
地域
市内の各地域の特徴・町並み
中心部
中津川の北にあるためとも呼ばれるこの地域は、かつて「仁王郷」(南岩手郡仁王村)と称した。安土桃山時代までは湿地で河川の氾濫が激しかったが、あえてそれを自然の要塞とし盛岡築城が進められ、現在の盛岡市の中心となった。江戸時代に藩の重臣屋敷の立ち並んだ盛岡城内丸跡には、明治になって官庁街が形成され、岩手県庁をはじめ、多くの官公庁施設や金融機関の本支店、マスコミ、医療機関などが集中する。慶長年間の盛岡開府に際しては、南部氏の旧城下町三戸から住人の移転が図られ「三戸町」が開かれたほか、京都からの移住した豪商らによる「京町(本町)」、「花屋町」、「材木町」など職人街がある。大通・菜園地区は、城内の食膳に野菜を供するための「盛岡城御菜園」跡を、昭和に入って都市計画により市街化したものである。
東部
と呼ばれるこの地域は、かつては「中野郷」とも呼ばれた。「中ノ橋」たもとに藩の「高札場」が置かれ、近世に到っても「小野組」「盛岡銀行」「盛岡貯蓄銀行」「第九十国立銀行」「岩手銀行」が置かれ、長らく経済交流の中心(金融街・商業街)として発達した。八幡町(盛岡八幡宮の門前町)、江戸時代には舟運による物流拠点「新山河岸(現・明治橋際)」と最寄の「新穀町惣門」などを中心に賑わう。鍛冶町一里塚や牛越場等の旧跡、「南昌荘」、「大清水多賀」などの近代の邸宅・料亭建築が残され、建築史を知る上で貴重なエリアである。盛岡天満宮門前の通り沿いには文教地区が形成され、良好な住宅地ともなっている。丘陵地帯には盛岡市動物公園、盛岡競馬場、岩山パークランドなどもあり、行楽地となっている。
北部
藩政時代に「上田通」に属したこの地域には、岩手県立博物館、盛岡市立図書館、岩手大学ほか教育施設が連なり、広範囲な文教地域を形成する。昭和に入り、松園ニュータウン等の大規模住宅開発が行なわれた。
かつては盛岡藩の宗教政策により、領内の重要寺院が集められ、北山寺院群が形発生。盛岡ドミニカン修道院、日本ハリストス正教会盛岡教会などの歴史あるキリスト教会も点在(上田・高松・山岸)する。奥州街道の面影を残す「一里塚」跡や、三陸海岸から城下へ塩を運ぶ「塩の道」と呼ばれる野田街道がある。
かつては競馬場があり、閑院宮載仁親王は、近隣の黄金清水に因んで「黄金競馬場」と命名。移転した現在の「盛岡競馬場」は、これに因んで「ORO PARK(黄金の公園)」を愛称とする。
西部
藩政時代に「厨川通」に属したこの地域は、平安時代に安倍氏や奥州工藤氏が拠点とした地域で、安倍館遺跡、里館遺跡などが幅広く存在する。厨川柵、嫗戸柵の擬定地となっているほか、大館町遺跡、大新町遺跡など、古代の埋蔵遺跡も多く見られる。
昭和初期まで「観武ヶ原練兵場」が知られ、陸軍予備士官学校が置かれたほか、近代化遺産として注目を集める煉瓦造の「覆馬場」など、往時の建造物が多く残されていたが、近年急速に失われている。
1970年にみちのく国体が開催された際、県営総合運動公園が整備されたのを皮切りに碁盤状街区が整備され、県営体育館、県営スケート場、県営武道館などの各種スポーツ関連施設が集中的に整備され、後に飛躍的な宅地化へとつながった、
中心部と北上川を挟んで結ばれ、盛岡駅を核とする市街地が展開。新幹線開通に伴う再開発と、ビジネスホテル等の進出により発展している。平成に入って、旧国鉄盛岡工場跡地の再開発をはじめとする「盛岡駅西口開発」が進み(マリオス、アイーナなどの建設)、従前の市街地と盛岡南新都市とを結ぶ「都心軸」の結節点を構築している。
南部
藩政時代に「飯岡通」「向中野通」に属したこの地域は、盛岡開府に先立って開削された「鹿妻穴堰」の水利によって穀倉地帯として知られ、近年まで「太田米」というブランドが知られた。
平安時代には、坂上田村麻呂によって志波城、大宮神社などが開かれ、中央政権によって早くから開拓が進められた地域で、台太郎遺跡に代表される竪穴式住居などの埋蔵文化財が非常に多い。
「仙北町」は、江戸時代に秋田仙北地方から移住した人々によって生まれた町で、肥沃な土地を背景に「青物・種苗」を扱い、豪商が軒を連ねた。本宮地区には「平民宰相」で知られる「原敬」の生家がある。
都市再生機構などによって、都心を補完する盛岡南新都市(ゆいとぴあ盛南)の整備が進められ、雫石川以南に急速な開発が進行しており、岩手県立美術館や「盛岡市先人記念館」「盛岡市アイスアリーナ」など文化施設が集積する。昭和後期になって盛岡流通センター、盛岡貨物ターミナル駅が置かれた。
玉山区
旧玉山村との合併に伴う地域自治区として、盛岡市の北部一帯に「玉山区」が設定されている(市町村の合併の特例等に関する法律第五条の五第1項を適用した「合併関係市町村の区域による地域自治区」、同法第五条の八の定める合併特例区ではない。設置期間は、2006年1月10日から2016年3月31日までの10年間ウェブもりおか:市のしくみと施策:玉山区地域協議会)。石川啄木の生地「旧渋民村」を含む。1972年(昭和47年)には、岩洞湖畔が「北上京遷都」(早稲田大学21世紀の日本研究会)の候補地となり注目を集めた。
土地利用
盛岡駅前・北上川にかかる開運橋/' title='盛岡駅/' title='ファイル:Morioka-Kaiunbashi-bridge.jpg|thumb|256px|[[盛岡駅'>盛岡駅前・北上川にかかる開運橋'>盛岡駅/' title='ファイル:Morioka-Kaiunbashi-bridge.jpg|thumb|256px|[[盛岡駅'>盛岡駅前・北上川にかかる開運橋
戦災を受けたのが盛岡駅周辺に限られたため、城下町開府以来の区画が残されているのが特徴である。東西の丘陵地帯に囲まれ、南北に長い平地の広がる北上盆地の北端
にあって、三大河川の合流点となる「盛岡城」跡を中心に、市街地が南北へ広がる。可住面積に比して高い森林面積比率を持つため、平野部へ特化した開発が進み、南北に隣接する町村へ住宅地・商業地を拡大させている。中津川・北上川・雫石川を跨ぐ「盛岡バスセンター~内丸・大通・菜園~盛岡駅~盛岡南新都市」の一帯が、都心軸と見なされている。
多くの都市が駅を中心に開発が進むのと対照的に、盛岡駅周辺の開発は東北新幹線開通直後を除いてしばらくの停滞を見た。しかし、旧国鉄盛岡工場用地の再開発「盛岡駅西口開発」が進展するのに伴い、平成に入って盛岡駅周辺の利用価値が向上。大手ビジネスホテルや立体駐車場、タワーマンションの進出が相次ぐ。さらに雫石川への架橋が進んで「盛岡南新都市」周辺地域への期待が高まると、「盛岡駅」を中心点とし、「盛岡南新都市」を「新都心」とみなし、「現都心」への道筋を一連の流れとする「軸状都心」考え方が定着してきた。
インフラの整備率
- 下水道普及率 83.4%(2007年度)盛岡市の下水道盛岡市下水道部
教育
教育史
大学
高等学校
- 県立高校
- 市立高校
- 私立高校
初等教育
- 国立
- 公立の小中学校
- 私立
交通
市街地の渋滞緩和を図るため、路線バスの利用促進を図る。国からオムニバスタウンに指定されており、ゾーンバスシステムを軸に、路線バスの高度利用を進めている。
ターミナル駅盛岡駅
市中心部まで
市内を通る鉄道は、JR線とIGRいわて銀河鉄道線。中心部にはターミナル駅の盛岡駅があり、東北新幹線はじめ各鉄道路線と接続されている。盛岡~東京間は、最寄のいわて花巻空港(花巻市)に東京便がないこと、空港から盛岡市までのアクセスの問題から、東北新幹線が圧倒的に優位。
市内路線バス
市内の公共輸送は、路線バスが主力。運行地域は市内のほぼ全域。ゾーンバスシステムと称して、郊外の住宅地では綿密に「支線バス」を設定(前述#行政参照のこと)。一方で、郊外と市街地との間は「支線バス」と「基幹バス」をバスセンターなどを通じて連絡している。
市内を走る岩手県交通のバス
- バス運行事業者
高速バス・特急バス
盛岡市以北の都市との間の高速バスは、東北新幹線に接続する路線として発達したが、東北新幹線が八戸駅まで延伸()したことで利用客が減少傾向にある。ただし「大館線」は大きな影響を受けていない。「仙台線」も東北新幹線と競合するが、新幹線の半額に運賃が設定されているため利用客が多い。
※2007年度の利用客数も付記http://www.tht.mlit.go.jp/jk/1k_kosoku_jisseki.pdf。
- 昼行便
- * 盛岡市~仙台市:25.7万人(アーバン号)
- * 盛岡市~大館市:20.9万人(みちのく号)
- * 盛岡市~弘前市:16.5万人(ヨーデル号)
- * 盛岡市~青森市:5.1万人(あすなろ号)
- * 盛岡市~一関市:2.4万人(室根~盛岡線)
- * 盛岡市~二戸市:2.2万人(すーぱー湯〜遊)
- * 盛岡市~久慈市:1.2万人(久慈こはく号)+1.0万人(スーパー久慈)
- * 盛岡市~八戸市:1.8万人(八盛号)
- * 盛岡市~軽米町:1.9万人(ウィンディ)
- * 盛岡市~十和田湖:0.2万人(とわだこ号)-季節運行
- * 盛岡市~宮古市:(106急行バス)-高速道路区間なし
- * 盛岡市~大船渡市:(急行盛岡大船渡線)
- 夜行便
- * 盛岡市~東京駅:5.5万人(ドリーム盛岡 (らくちん) 号)
- * 盛岡市~厚木市:1.2万人(盛岡~横浜線)
鉄道
- 東北新幹線 (盛岡駅)
- 東北本線(岩手飯岡駅 - 仙北町駅 - 盛岡駅)
- 田沢湖線(秋田新幹線)(盛岡駅)
- 山田線(盛岡駅 - 上盛岡駅 - 山岸駅 - 上米内駅 - 大志田駅 - 浅岸駅)
- 花輪線(盛岡駅 - 好摩駅)
- いわて銀河鉄道線(盛岡駅 - 青山駅 - 厨川駅 - (滝沢駅、巣子駅は滝沢村域) - 渋民駅 - 好摩駅)
道路
高速道路
地域高規格道路
一般国道
主要地方道
一般県道
- 岩手県道119号仙北町停車場線
- 岩手県道120号不動盛岡線
- 岩手県道128号厨川停車場線
- 岩手県道129号好摩停車場線
- 岩手県道132号上盛岡停車場線
- 岩手県道158号藪川川口線
- 岩手県道169号渋民川又線
- 岩手県道172号盛岡鶯宿温泉線
- 岩手県道199号西根好摩線
- 岩手県道204号大志田停車場線
- 岩手県道208号大ヶ生徳田線
- 岩手県道220号氏子橋夕顔瀬線
- 岩手県道223号盛岡滝沢線
- 岩手県道258号繋温泉線
- 岩手県道293号本宮長田町線
- 岩手県道502号盛岡矢巾自転車道線
マスコミ
岩手県は、情報格差の解消が比較的遅れた地域で、在盛TV局のうち、フジテレビ系列の岩手めんこいテレビ、テレビ朝日系列の岩手朝日テレビは平成期の開局である1996年10月1日のIAT開局を以て東北6県で(宮城・福島に次いで)3番目に民放TVが4局出揃った。。
新聞社
放送局
県域放送
- NHK盛岡放送局
- IBC岩手放送(TBS系列、ラジオはJRN/NRN系列)
- テレビ岩手(日本テレビ系列)
- 岩手めんこいテレビ(フジテレビ系列)
- 岩手朝日テレビ(テレビ朝日系列)
- エフエム岩手(TFM/JFN系列)
コミュニティ放送
ケーブルテレビ
- 岩手ケーブルテレビジョン
- テレビ都南→2011年7月24日を以て廃局決定。
このほか、情報誌としてアキュート(タウン情報誌)、Vivitto(女性ファッション誌&生活情報誌)、てくり(ミニコミ誌)、月刊 ファウル(ナイトマガジン)。フリーペーパーとしてマ・シェリ、情報紙 游悠などが発行されている。
文化財
国の指定・登録等に係るものは、重要文化財が14件、重要美術品が5件、重要無形民俗文化財が1件、選択無形民俗文化財が1件、史跡が2件、天然記念物が3件(地域を定めず指定されたものを除く)、登録有形文化財が2箇所(9件)である。盛岡市教育委員会歴史文化課ウェブページを参照(指定等の件数については数え方の違いがあり、必ずしも上述の件数と一致しない)。
観光
城下町であることに由来して、市内には多くの城址、神社仏閣がある。また、火山である岩手山が近隣に所在することから、温泉が多い。また宮沢賢治や石川啄木(作家)、原敬、斉藤実、米内光政(首相)などが青春時代を過ごした町であり、先人に関する石碑や施設も多い。
- 報恩寺・五百羅漢
- 三ツ石神社
- 十六羅漢
- 大慈寺
- 寺町通り(日本の道百選)
- もりおか啄木・賢治青春館(旧国立第九十銀行本店)
- 大慈清水・青龍水
- 龍谷寺のモリオカシダレ(国の天然記念物)
- 岩手大学農学部付属農業教育資料館 - 旧盛岡高等農林学校(国の重要文化財)
- 東楽寺(十一面観音)
- カキツバタ群落
- 石割桜
- 米内浄水場
- 岩手公園(国の史跡・盛岡城址)
- 石川啄木記念館
- 上ノ橋擬宝珠
- 岩手銀行中ノ橋支店(旧盛岡銀行本店本館)
- 盛岡信用金庫本店
- 酒買地蔵尊
- 豆腐買地蔵尊
- おもかげ地蔵尊
- 盛岡市先人記念館
- 繋温泉
祭事・催事
味覚
麺類が有名で、「麺都」と称されることがある。南部杜氏の本場であり、酒どころである。三陸海岸(陸中海岸)を後背地とするため、寿司の名店が多いことでも知られる。「べんじぇもの(弁財物)」と呼ばれるこの地域独特な餅菓子類が多く見られる。以下、盛岡でよく食される特徴的な料理方法、食材、呼び方など。
わんこそば
- 郷土料理
- * ひっつみ:郷土料理としての「すいとん」
- * わんこそば:椀を重ねて次々と盛る動作は、元来、客を満腹にしてもてなす意味合いがある。当地では、冠婚葬祭の膳で最後に蕎麦を供するのが慣わしである。
- * 盛岡じゃじゃ麺及び鶏蛋湯(チータンタン):肉味噌・キュウリを和えて食するうどん状の麺、最後に湯をかけて作る卵スープ。
- * 盛岡冷麺:盛岡冷麺は他地域の冷麺と異なり、麺に蕎麦粉を加えず、小麦粉のみで練り上げた半透明の弾力ある仕上げが特徴。辛さを抑えるためにすいかや梨をいれる。
- * 芋の子汁:本来、盛岡の「津志田芋」を煮て作る。芋の子汁を味わう集いを「芋の子食い」と言う。
- * そばはっと(蕎麦法度)
- 菓子
- * 醤油だんご:みたらし団子とは異なり、古い団子の製法によって作られ、醤油のみを仕様する串団子。全国的に見て、盛岡市近辺にのみ作られている。
- * ゆべし:北陸・九州で知られる「柚子釜ゆべし」と異なる。
- * きりせんしょ:ゆべしと同一視されることがある。関東以南で知られる「きりせんしょ」同様、山椒を加えることが稀にある。
- * お茶餅:「うちわもち」とも。胡桃味噌を塗して焼いた餅。
- * 鎌焼:「鎌」の歯に見立てた呼び名。胡桃餡や味噌餡などを包む。「味噌っぱさみ」とも。生地が白の場合、シソの葉で巻くことがある。
- * 花饅頭:うるち米と餅米をまぜ、ふかして作った菓子。桃の節句に食する。
- * 黄精飴:江戸時代に方長老が漢方薬として伝えたという「黄精(アマドコロ)」を使った菓子。
- * 葡萄飴:山葡萄の甘味を生かした餅菓子。
- * 豆銀糖:江戸時代の豆銀に見立てた青豆菓子。
- * からめ餅:盛岡藩の「金山からめ節」に因んだとも、携行食とも言われる。
- * 南部煎餅:小麦をベースに胡麻・胡桃・落花生などをあしらった焼菓子。
- * ぶぢょほ団子:黒蜜を包んだ一口餅。噛むと黒蜜が飛び出すため一口で食べねばならず、「不調法(行儀が悪いこと)」に見えることからその名が着いた。
- * 豆しとぎ:枝豆で製する蒸し菓子。
- * 雁月(がんづき):小麦粉と胡桃・胡麻を混ぜ蒸した菓子。まぶした胡桃が月を渡る雁に見えることから。
- * へっちょこ団子:一口大の白玉団子をへこませて茹で、汁粉に入れて食す。「へっちょこ」とは、臍のこと。
- * 小麦餅:小麦粉を練って焼いた自家製菓子。
- * 蕎麦餅:蕎麦粉を練って焼いた自家製菓子。
- * 干し餅:餅を薄く切って乾燥させたもの。揚げたり湯に浸し崩して食べる。
- * 薄焼き:主に祭礼の出店で売られる、小麦粉を伸ばして焼いたクレープ状の菓子。
- * 盛岡駄菓子:元来、保存食として生まれ、祭事に用いられ子どもの菓子として定着した。石衣(兎玉)、青柳、丹切、茶玉、肉桂玉、薄荷糖、生姜糖、焼酎糖、黄粉ねじり、ラッキョウ飴など。正月に限り、相撲力士を象った小麦菓子を売る習慣がある。
- * ロシアビスケット:ロシアから伝わった非常に硬い胡桃のビスケット。現在は盛岡市内正食普及会より販売。
- 食材の呼び方・食習慣
- * 玉菜(たまな):キャベツを呼ぶ。アクセントは「ま」
- * 姫竹(ひめたけ):根曲がり竹を呼ぶ。アクセントは「め」
- * 権八(ごんぱち):もみじおろしを呼び、盛り蕎麦にも添えられる。
- * バッケ:フキノトウを呼ぶ。アクセントは「け」
- * キミ:トウモロコシを呼ぶ。アクセントは「き」
- * キラズ:おからを呼ぶ。アクセントは「ら」
- * 番茶:ほうじ茶を「番茶」と呼ぶ傾向がある。
- * 南蛮:唐辛子を呼ぶ。
- * 冷風麺:冷やし中華をこの名で呼ぶことがある。
- * ミズ:ウワバミソウを呼ぶ。
- * ミズコブ:ウワバミソウのムカゴを呼ぶ。
- * ボリ:ナラタケを呼ぶ。
- 清酒銘柄
- 地ビール
- * ベアレンビール
スポーツチーム
盛岡を舞台とした作品
- 漫画
- * 六三四の剣 - 村上もとか(幼少時代と高校時代に登場。城跡や開運橋など市内各所が舞台に登場する。)
- * とりぱん - とりのなん子(「モーニング」講談社)
- * すなかけ - 五十嵐大介(単行本「そらトびタマシイ」 に収録。旧県立図書館前や上ノ橋附近の木造アパートなどが舞台として登場する。)
- 音楽
- * 緑の街に舞い降りて -Ode of Morioka- - 松任谷由実
- * 緑の中で・・・ - 清心
- * 盛岡ブルース - 青江三奈
- 映画
- * 花くれないに - 鈴木則文
- * 大いなる旅路 - 関川秀雄
- * トラック野郎 御意見無用 - 鈴木則文 1975年 東映
- * (ハル) - 森田芳光
- * 壬生義士伝 - 浅田次郎
- * ハチミツとクローバー - 羽海野チカ(主人公竹本祐太の旅立つ先)
- * 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 1984年 松竹
- 文学
- * 盛岡ノート - 立原道造
- * あこがれ・一握の砂・閑天地・葬列 - 石川啄木
- * 炎立つ - 高橋克彦
- * ポラーノの広場 - 宮澤賢治
- * 不来方抄 - 城戸朱理
- * あなたの石 - 関口尚
- * 君に舞い降りる白 - 関口尚
- * いぬかみっ! - 有沢まみず(盛岡の名前は出てこないが、架空の都市「吉日市」は盛岡がモデルといわれる)
- * 蒼茫の大地、滅ぶ - 西村寿行
- ドラマ
- * どんど晴れ - NHK 連続ドラマ小説
- 児童書
- * はしれ!とうほくしんかんせん - 小峰書店 (盛岡に向かう新幹線)
盛岡市出身者
政財界・法曹界・学界
- 青木周三 - 貴族院議員・横浜市長
- 阿部浩 - 第18代東京府知事
- 上田常隆 - 毎日新聞社長
- 梅津芳三 - 横須賀市長
- 及川古志郎 - 第60代海軍大将
- 大島高任 - 日本近代製鉄業の父
- 小田中聰樹 - 法学者
- 小野清一郎 - 法学者
- 板垣征四郎 - 陸軍大臣
- 鹿島精一 - 鹿島組(現鹿島建設)組長
- 加藤哲郎 - 政治学者
- 菊池武夫 - 法学者・中央大学創立者
- 工藤雅樹 - 歴史学者・考古学者
- 米内光政 - 第37代内閣総理大臣
- 神谷尚男 - 検事総長
- 熊谷史人 - 元ライブドア代表取締役
- 佐藤北江 - 東京朝日新聞編集長
- 佐々木耕郎 - 日光市長
- 中村誠 - グラフィックデザイナー・元資生堂顧問
- 庄司昭夫 - びっくりドンキー創業者
- 杉村陽太郎 - 国際連盟事務次長
- 田子一民 - 衆議院議長
- 田鎖綱紀 - 日本速記法創始者
- 出渕勝次 - 英国大使
- 津島隆一 - 新銀行東京代表執行役、元東京都港湾局長
- 東條英教 - 陸軍軍人
- 中村繁次郎 - hanjiro創業者
- 栃内曽次郎 - 海軍大将
- 新渡戸稲造 - 農学者・教育者・東京女子大学創設者国際連盟事務次長
- 原敬 - 第19代内閣総理大臣
- 馬場義也 - 平塚市長
- 藤島亥治郎 - 建築史家
- 藤村正之 - 社会学者
- 横川省三 - 新聞記者・自由民権運動家
- 山屋他人 - 海軍大将
- 金田一京助 - 言語学者・民俗学者
作家・芸術家・漫画家
- 阿部金剛 - 洋画家
- 石川啄木 - 歌人
- 海野経 - 画家
- GAGLE - ミュージシャン
- 城戸朱理 - 詩人
- 久美沙織 - 作家
- 五味清吉 - 画家
- 斎藤純 - 作家
- 瀬川英史 - 作曲家
- 相米慎二 - 映画監督
- そのだつくし - 漫画家
- 高橋克彦 - 作家(在住)
- 高橋研 - シンガーソングライター・音楽プロデューサー
- 田中美菜子 - 漫画家
- 富田砕花 - 詩人
- 中津文彦 - 作家
- にざかな - 漫画家
- バカ野坂 (漫才師:俺のバカ / ボケ)
- 服部祐民子 - シンガーソングライター・webデザイナー
- 深沢紅子 - 画家
- 深沢省三 - 画家
- 舟越桂 - 彫刻家
- 細越麟太郎 - 映画評論家
- 前田剛秀 - レーシングドライバー
- 松阪晶子 - シンガーソングライター
- 松田惺山 - 鬼太鼓座代表
- 松田十刻 - 作家
- みやこうせい - エッセイスト・写真家
- 村上善男 - 美術家
- 森荘巳池 - 作家
- 横浜勉 - 建築家
- 吉田恒星 - 写真家
俳優・芸能界・アナウンサー・スポーツ選手
- 赤城マリ子、元女子プロレスラー
- 赤平大 - フリーアナウンサー、元テレビ東京アナウンサー
- 秋山博子 - 青森放送アナウンサー
- 伊勢志摩 - 女優
- 伊東みやこ - 声優
- 植本潤 - 俳優・ナレーター
- 梅沢佐季子 - モデル
- 大石枝里 - タレント
- 大村公二 - 特殊メイクアーティスト
- 小笠原満男 - プロサッカー選手
- 加藤真輝子 - テレビ朝日アナウンサー
- 菊地秀規 - お笑いタレント(いつもここから)
- 木村慎吾 - 青森朝日放送アナウンサー
- 木村庄之助 (27代) - 立行司
- 久慈次郎 - 野球選手
- 佐々木未来 - 声優
- 佐藤千亜妃 - 女優、アイドル
- ザ・グレート・サスケ - プロレスラー・元岩手県議会議員
- 獅子内謹一郎 - アマチュア野球選手。「岩手野球の父」と呼ばれた。
- 真堂藍 - 女優
- 高橋佳代子 - アナウンサー
- TAKAみちのく - プロレスラー
- 田山真美子 - 女優
- ミラノ・コレクションA.T - プロレスラー
- 長岡輝子 - 女優
- 林勇介 - プロサッカー選手
- HIROKI - プロレスラー
- 畠山孝一 - 民謡歌手
- ふじポン - ローカルタレント
- 小西喜蔵 - 日本競馬史上初のクラシック三冠達成騎手
- 前田剛秀 - レーシングドライバー
- 三原葉子 - 女優
- 宮城千賀子 - 女優
- 武藤良明 - ギタリスト
- 村上まゆこ - 元ニッポン放送アナウンサー
- 類家明日香 - 樽ドル
- 柳田久美子 - 歌手
- 矢羽々恵匡 - テレビ静岡アナウンサー
- 山川恵里佳 - タレント
- 山本脩斗 - プロサッカー選手
- 雄星 - プロ野球選手
- 和田圭市 - 俳優
盛岡市にゆかりのある有名人
- 相原正明 - 元奥州市長、元江刺市長
- 青木盛久 - 公使、国際協力事業団青年海外協力隊事務局長
- 五十嵐大介 - 漫画家
- 池野恋 - 漫画家
- 石川栄耀 - 都市計画家
- 石川啄木 - 詩人
- 板垣正 - 元参議院議員
- 岩崎信 - 工学者
- 内舘牧子 - 作家・横綱審議委員
- 大江卓 - 実業家
- 大橋都希子 - 中部日本放送元アナウンサー
- 奥山恵美子 - 仙台市長
- 小田ひで次 - 漫画家
- 尾高惇忠 - 官営富岡製糸場初代場長
- 川田亜子 - TBS元アナウンサー
- 河本緑石 - 詩人、童話作家。盛岡高等農林学校卒(出生は鳥取県倉吉市)
- 小松正之 - 元国連食糧農業機関(FAO)水産委員会議長
- 小山実稚恵 - ピアニスト
- 佐香厚子-漫画家
- 佐藤得二 - 哲学者
- 佐藤信淵 - 思想家
- 里見弴 - 小説家
- 沢田知可子 - 歌手
- 島桂次 - 第15代NHK会長
- 島地黙雷 - 宗教家(浄土真宗)
- 鈴木裕樹 - 俳優(D-BOYS)
- 松本竣介 - 洋画家
- 三鬼隆 - 日本製鐵社長
- 宮澤賢治 - 童話作家、詩人。盛岡高等農林学校卒(出生は岩手県花巻市)
- 島地大等 - 宗教家(浄土真宗)
- 新宮涼庭 - 蘭方医
- 神太郎 - 俳優
- 高橋温 - 住友信託銀行会長
- 巽聖歌 - 童謡「たき火」作者
- 田中角栄 - 政治家
- 田中正造 - 代議士
- 筑紫哲也 - ジャーナリスト
- 東條英機 - 第40代内閣総理大臣
- 山田美妙 - 小説家・詩人
- 米内穂豊 - 挿絵画家
- 中村慶一郎 - 政治評論家
- 夏井高人 - 法学者
- 南部利昭 - 靖国神社宮司
- 二宮柊 - 杉野学園ドレスメーカー学院学院長
- 野田一夫 - 多摩大学名誉学長、宮城大学初代学長
- 野村胡堂 - 銭形平次作者
- 林有造 - 逓信大臣(立志社)
- 福田繁雄 - グラフィックデザイナー
- 舟越保武 - 彫刻家
- 古河市兵衛 - 古河財閥創業者
- 渡辺祐 - エディター・ライター・J-WAVEパーソナリティ
文献
- 佐藤優 『脈脈 盛岡の街づくり』(在研究所 1984)
- 佐藤優 『「五感」性のある景観創造~盛岡市の都市景観行政と地区計画~』(北土社 1991)
出典
関連項目
外部リンク
- 行政
- 観光
- 地図